初めまして、二代目 水素バカ、林賢司です。
今日から、いよいよブログです。せっかくの僕のブログなので、
チョットだけでも、みんなの明日の元気の『みなもと』になれたら嬉しいです。しょっぱなは、やっぱり『水素水』のこと。『初代 水素バカ』(父ですね)誕生のお話。
あ、僕は関西人なので、メチャメチャ関西弁が出ます。苦手な人は…
ゴメンナサイm(_ _)m
『水素水』って聞いたことありますか?今は、何となくご存知の人も多いでしょうね。あまり知られていませんが、
今から30年以上前の1985年。ある日突然、見たこともない機械が我が家にやってきました。電気分解整水器、いわゆる『アルカリイオン整水器』です。それが家の蛇口につなげられ、父がその水で金魚を飼い、花を生け始めました。
「お父さん、また何を始めたんやろ?」
そんな僕に父はしたり顔でこう言い放ちます。
「ホンマかいな?!ようわからんけど、お父さんが言うてるんやし、そうなんかも…」
当時の僕の正直な気持ち。だって、当時はまだまだ、
が、当たり前。ミネラルウォーター、浄水器も一般には浸透してません。でも1週間ほどして、父の言う通りになってビックリ!しかし この後、さらにビックリすることが!?
スグに家族への『人体実験』も始まりました。当時の林家の暗黙のルール。
ところが実験が始まると、今まで父のトイレ後に充満していた『鼻がひん曲がるような悪臭(インドール、フェノール、ヒスタミンなど)』が、魔法をかけたように消えてしまったのです…そう『水』が林家にもたらした最初の不思議、それは『トイレの消臭』でした。
みなさんは、どんな父だと思います? 実は、こんなです↓
ゴーカイで、何か恐そうな感じでしょ?数々のゴーカイエピソードは、また今度にしまして、父・秀光は、れっきとした医者だったんです。しかも大学院まで出ている外科医。ところが医師免許を取得して20年、現代医学に邁進した父の結論は…
病気を治しても治しても、患者さんがまた戻ってきてしまう。商売で言えば『リピーター』かもしれませんが、父はそのことに強い憤りを感じていました。まぁかく言う父も、かなりの
午前診療が終わり、血圧を下げる薬を注射しないと、午後の診療に臨めないこともしばしば…ホンマ、医者の不養生とはよく言ったのものです。
ただ父の凄さは、医学に疑問を持った時に次の道が見つかる強運と、その医学にさっさと見切りをつけ、あっさり次へ進んだ決断力と行動力。
の持ち主の父は、せっかく開院して10年経った『林外科』をアッサリたたみ、何と『不思議な水』の研究を開始!母、中学生の弟と僕を抱えて、よくまぁそんな決断できたわ…
これを父は自分の天命だと信じ込みました。荒唐無稽な天命、無謀な覚悟、僕には到底真似できない…
さて当時、林家には、暗黙のルールその②もありました。
父:「お父さん、外科辞めるわ!」
母・僕・弟:「はい、頑張ってください…」
これしか言えない言えない!だってもう決めてるんやもん!後年、父は当時の覚悟のほどを、藤島恒夫の『月の法善寺横町』の歌詞になぞらえて、こう言いました。
まさか父がそんな覚悟をしていたとは…
当たり前のことを当たり前に実行する男の姿…カッコ良すぎやろ!それから四半世紀以上、命が尽きるその瞬間まで、父は『水探求者』でした。僕は、未だに水だけを生業としている医者を、父以外には知りません。父が『水探求者』を始めてちょうど10年が経った95年…
さて次回は、そんな父の血を受け継いだ『二代目 水素バカ』(僕ですね)のお話。
『二代目 水素バカ』の源↓
これからも
を書いていきます。チョットだけでも
になれたら嬉しいなぁ〜^_^
今日はここまで。
ほなまた次回!