こんにちは、何となくナレーター、林健司です!
昨日のブログにチョットだけ書いた宮澤賢治氏の『雨ニモマケズ』。どうにも朗読したくなってしまいました↓
半年ぶりの『朗読の時間』、3分間『ほっ』と息抜き、しませんか…?
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
(雨にも負けず 風にも負けず)
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
(雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な身体をもち)
慾ハナク決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
(欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている)
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
(一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ)
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
(あらゆることを 自分を勘定に入れずに)
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
(よく見聞きし分かり そして忘れず)
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
(野原の松の林の蔭の 小さな萱葺きの小屋にいて)
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
(東に病気の子どもあれば 行って看病してやり)
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
(西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い)
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
(南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い)
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
(北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから やめろと言い)
ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
(日照りの時は涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き)
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
(みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず)
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
(そういうものに わたしは なりたい)
宮澤賢治氏の、あまりにも有名なこの詩は『斉藤宗次郎』氏という人をモデルに書かれたと言われています。宗次郎氏は1887年、岩手県の花巻に生まれ、後に敬虔なクリスチャンになりました。しかし当時、周りからは『クリスチャン=国賊』として、迫害を受け続けます。そして、ついには心ない人の行いから、9歳の妹を亡くしてしまうのです…
それでも彼は、周りから『でくのぼう』と言われようとも、町の人たちのために、献身的に振る舞い、神様に祈り続けたそうです。彼が上京のため町を離れる時、駅に町中のあらゆる立場の人が つめかけました。その中に宗次郎氏の生活ぶりを見てきた、若き日の宮澤賢治氏もいたそうです。
こんな人は、なかなかいません。『デクノボー』になろうと思っても、なかなか なれるものでもない。しかし宮澤賢治氏没後に発表された この詩が、80年以上が経った今も
と、この詩を読む者の心を鷲掴みにするのは、なぜでしょうか?僕は、それはきっと『愛は普遍』であることの証明ではないかと思えるのです。それを証拠に、この詩を読むと、人にやさしくなれませんか?
『朗読の時間』、いかがでしたでしょうか? 次回は、またその内に!前回の『朗読の時間』です。これって夫婦を永く続けるコツかもなぁ〜♫↓