さて、2004年、今から12年前、ちょうどアテネ・オリンピックの年、32歳の僕は『声』の仕事に携わりたくて
『声』の仕事は、声優だけでなく、ラジオパーソナリティ、ナレーター、司会など多岐に渡ります。
(以前に『声』の仕事について書いたブログ http://water-institute.org/blog/1076)
僕は昔から『声』の仕事には興味があり、学生時代はラジオドラマ風の作品や、架空のCMを作って遊んでいました。ただプロになろうとは思わなかった。だって
遊びやから、好きにできてオモロイ。仕事やと、やりたいようにやれんからオモンナイ、そう思い込んでいました。ある時、僕は会社行事の司会をすることに。その時、行事に参加していた、ある社長さんが僕に
何やようわからんけど、やっぱり
もう何年も連絡を取っていない、地方のTV局の知り合いに電話。仲が良い万田さざめというタレントさん(後の僕の師匠)のツテで、大阪最大手の声のプロダクション、その直轄の養成所のオーディションを受けることに。また本屋でも目ぼしい本を買い、ネットで関連情報を調べ資料を取り寄せました。するとプロを目指すなら東京へと書いてある… 東京への憧れもあり、万田さんに相談すると
腹は決まりました。まずは関西で勉強し実力をつける!東京はそれからでも遅くはない。とにかく独身やしね。
確か、季節は冬。万田さんに言われた場所、大阪・南森町に当時あった事務所へ向かいました。向かう途中、万田さんから電話が…
会場に着くと、ナレーション、アナウンス、芝居、フリートークなど、オーディション本番の原稿を渡されました。生まれて初めて手にする『喋りの原稿』。
30人ほどが授業を受けられる部屋に、50名以上の若者たち。ほとんどが女性、男性は僕を合わせても3〜4人。とにかく
もう圧倒的!みんなオーディション原稿を見ながら、ある女性は壁に向かって大声で喋り、またある女性は床を手でバンバン叩きながら大笑いし芝居に入り込んでる、それぞれが練習に没頭…ハッキリ言って
だから僕は逆に開き直れた。今この会場にいる人のほとんどは、勉強してきた人っぽい。でも僕は所詮
しかも
そこから僕もド素人ながら、周りに耳をそば立て、大声を出し原稿の世界に入り込みました。本番も50人以上のライバルの中、視線が…いや、聞き耳が痛い…必死過ぎて、何が何やらほとんど覚えてない…
オーディションは数回開催され、受けた人数は300人近く、残れるのは30人弱。そして…
まぁ取っ掛かりは、だいたい
そう、覚悟を決めれば、勢いがつくもんです!
これからも
を書いていきます。チョットだけでも
になれたら嬉しいなぁ〜^_^
今日はここまで。
ほなまた次回!